みんなの住まい

教育が街づくりを変え、人を集める。離島「海士町(あまちょう)」に学ぶコミュニティの形。

日本海の島根半島沖合約60キロに浮かぶ隠岐諸島。島根県の七類港からフェリーで約3時間かけてたどりつくのが、その島のひとつ「海士町」(あまちょう)です。財政難、過疎化が進んだこの島は、10数年で大きな変化を遂げました。

※TOPの画像は海士町のビーチ。夏は観光客でにぎわうといいます。

人口は約2400人、このうち1割が島外からの移住者、いわゆる「Iターン」の人です。そして「Iターン」に背中を押される形で島出身の若者も「Uターン」で戻ってきています。少子化で統廃合寸前だった高校も、全国から生徒が入学し、2012年度から学級増となりました。

これは異例中の異例といえます。海士町は今、「日本の未来の課題を解決した島」や「課題先進国」などと言われ、視察が後を絶ちません。なぜ10数年前に破綻寸前だった町が、こうまで変われたのでしょうか?

町民一丸で島を共に創る

海士町では、町民のあいだにつながりや共生、そして共創といったことが常に意識されています。「みんなの住まい」では、家族や隣人、街の人とのつながりから素敵な住まい方や暮らし方があるのではないかと考えています。そのヒントを見つけるために、僕は海士町に向かいました。羽田から飛行機に乗り、鳥取県の米子空港へ向かいました。米子空港からバスに揺られて40分程度。島根県の七類港へたどりつきます。

ここから隠岐汽船のフェリーに乗って、海士町へ。チケットを買って船に乗り込むと、みんなごろ寝です。それも、船が進み出して気づきました。波が高い時は大きな揺れとなり、とてもではないのですが座っていられません。他の乗客のまねをして有料の毛布(30円)を借りて寝転がります。

30円を入れて毛布を借ります

約3時間揺られて、海士町に到着。船を降りると町民のお出迎えと共に「ないものはない」と書かれたポスターが目にはいってきます。

「ないものはない」

「ないものはない」の2つの意味

コンビニエンスストアやアミューズメント施設などはありません。そのため「ないものはない」という言葉はちょっと開き直りともいえる感じですが、これには2つの理由が込められているとか。

(1)無くてもよい
(2)大事なことはすべてここにある

都会のように便利ではないけど、自然や郷土の恵みはあるということでしょうか。

「生きるか死ぬか」の状態で町民がひとつに

きっかけは2002年(平成14年)。1995年(平成7年)、合併特例法が改正され推進されたいわゆる「平成の大合併」の波は海士町までやってきました。自治体の数を半減(3,200から1,700)させた、この施策の主目的は次の3つです。

(1)行財政の効率化
(2)行政サービスの広域化
(3)地方への権限委譲

政府は合併を推進するために行財政面での支援を打ち出します。財政難にあえぐ自治体にとっては天の恵みともいえる内容でしたが、海士町はこの誘いに乗りません。そこには地理的問題が多分にありました。

本土と比べて隠岐諸島島前地域は、ひとつの島でひとつの町を構成しています。3島間の往来は本土の移動と比べると格段に不便で、行政の窓口をどこかの島に一本化すると残りの2島は船で窓口へ行かなくてはなりません。町民との話し合いを進めていく中で、合併はしないことが決まりましたが、財政難がそのまま残ります。当時も今も町長である山内道雄さんは、それでも町民と共に、自立の道を進み出します。

役場には当初から掲げられているスローガン「自立・挑戦・交流」の看板があります

当時の状況を海士町役場の財政課長の吉元さんは話します。「生きるか死ぬかでした。自立の道を選ぶしかないことは、地理的な問題からも見えていました。しかし、このままでは島は死んでしまう。だから、私たちは必死になりましたよ」。

海士町役場、財政課長の吉元 操さん

一自治体として生き残るためには財政難を解決することが第一です。一言に財政難を解決するといっても、簡単ではありません。海士町では、まず人件費などの削減をしていくことから始めました。他にも様々な施策を行い、年間で2億円の経費削減を実現。海士町の役場は国家公務員の給与で全国一低い町になりました。抑えた経費を未来への投資にあてたのです。そのひとつが教育です。

「教育」を充実させ、人を増やす

「当時、給与カットを含めて財政の立て直しをしていたころに、それよりも学校を何とかしなきゃいけないという声があがったんです」と吉元さん。海士町には、島根県立隠岐島前高等学校があります。人口が減っていく中、入学者が1997年(平成9年)と2008年(平成20年)では3分の1(77人→28人)になってしまっていました。

地域から高校がなくなると、その親である30代や40代の大人もあわせて島を出て行ってしまう可能性も高く、子ども連れ家族の定住危機が発生します。つまり、学校の存続は地域の存続に直結するともいえるのです。そこで海士町を含む島前(どうぜん)三町村では「隠岐島前高校魅力化構想」を実施します。目標は島前地域内からの入学率増と島前地域外からの入学数増。

この「構想」では、学校の役割を再定義したといいます。都市部のように「単なる進学の後押しをすること」ではなく、過疎化が進む高校の役割は「地域の担い手を育成すること」。地域の課題は、既存産業の衰退や若者の流出、後継者不足や公共依存。その地域を変えていくために求められている人材は、地域で生業・事業・産業を創り出せる人材。つまり島だから「仕事がない」ではなく、島で「仕事をつくる」という人です。”起業家精神を持っている人”と言い換えることができるかもしれません。

その1つの方法として、地域協働型カリキュラムを創設します。これは、地域全体を「学校」ととらえ、地域の人も「先生」とするというもの。地域の長老たちから知恵を学ぶほか、一次産業の現場体験など、他では体験できない「学び」を提供してきます。さらに、2年生は全員「海外研修」としてシンガポールのエール大学に行くなどし、高校生が地域を変える力を持つように育てていきます。観光甲子園でグランプリ受賞をするなどの成果もでています。

現在、新入生の5割が島外から入学。子連れ家族の定住も促進され、若者や子どもの数も増加し、2014年(平成26年)には150名を超す生徒数となっています。そして2015年(平成27年度)、文部科学省のスーパーグローバルスクールとして隠岐島前高校が指定されました。これはグローバル・リーダー育成を高等学校段階から育成するという目的で、2015年(平成27年)の指定高校として56校。そのうちの1つになったのです。

人事、企業研修会社、予備校教師などのIターンが集まり「学習センター」誕生

ふつうの民家を借りて作られた隠岐國学習センター

僻地の学校は幅広い学力や進路への対応が必要ですが、教員数も少なく、民間教育もありません。結果、経済力が豊かな家庭の子どもほど、市街地へ行ってしまいます。そこで、海士町ではそれを防ぐため、学校地域連携型寺子屋「隠岐國学習センター」を2010年(平成22年)6月に誕生させます。

センター長は大手情報出版会社の人事や人材育成会社で企業研修を行ってきた豊田庄吾さん。センターの特徴は一人ひとりにあった学習支援をすること。高校での授業内容をふまえた指導による学習の相乗効果を狙うこと。そして「夢ゼミ」と呼ばれる独特なプログラムで地域内外の大人と関わりながら社会人基礎力と学習意欲を醸成し、地域のつなぎ手を育成することです。

センター長の豊田庄吾さんは人材育成のプロフェッショナル

中学生の指導ではICTを用いて、遠隔地でも授業を受けられるようにしています。「学習センターから授業をインターネットで中継して、島前三島の子どもが一緒に聞けるようにしています。島内の子は、島外の子ともインターネットなどを通じて一緒に勉強することで自分の学力の足りなさや強みをより意識できるようになってきました」と話すのは、隠岐國学習センターの副長である大辻雄介さん。

実際、島内だけでは生徒数が少なく、勉強が進んでいる子と遅れている子が同じ授業を受ける必要がでてきてしまいます。ICTを使い、島外の生徒も参加することで、例えば生徒数が10名から30名に増えれば、10名1クラスにして3クラスに分けて指導も可能です。この発想は島だけでなく、日本全体の少子化傾向に対する教育のひとつのあり方ともいえるのではないでしょうか。

大辻さんは、ベネッセコーポレーションで初めて映像によるオンライン学習を企画・開発。2014年(平成26年)に同社を退職し、妻と共に海士町へ移住してきたIターン者。「もともとは予備校の講師をしていたので、ベネッセでも距離が離れていても対話ができる授業をしたかった。それで見つけたのがICTの分野です。隠岐國学習センターでは、オンラインで授業に参加でき、質問などをチャット形式で回答できるような仕組みを用意しています」。

隠岐國学習センター副長の大辻雄介さん。取材日は学習センターの新校舎(後ろの建物)を、まさにつくっているところでした。4月7日、無事竣工式を終えたとのこと

一方、夢ゼミは、センター長の豊田さんが推進。「夢ゼミとは、大学でいうゼミ形式の授業のことです。やりたいことと地域のためにできることの交わりを模索するために行っています」と豊田さん。高校生3年間のプランは次の通りです。

1年次:対話の型を学ぶ(グローカル人材のOS(思考力・多文化協働))
2年次:地域の課題を学ぶ(当事者意識の醸成、「私たちごと」化)
3年次:プロジェクト学習

「グローカル人材」とは、「グローバル」と「ローカル」を掛け合わせた造語で、地域の課題を解決できる人間は世界の課題も解決できるようになるという発想に基づいています。

僻地の若者に生じやすい傾向を豊田さんは「価値観の同質化」「関係性の固定化」「刺激や競争の不足」と指摘します。それにより、多文化協働力の不足や主体性・課題発見解決力の欠如、挑戦心・キャリア形成意識の不足が生まれてきてしまうとも。

「教育を魅力化していくことで、教育のブランド化やグローカル人材育成ができるようになります。それが若者や子ども増につながっていくのではないでしょうか」と豊田さん。夢ゼミでもICTを活用し、オンラインによる出前授業のほか、実際に島にきてもらい生徒たちに学びを提供する仕組み作りを行っています。

この学習センターと高校の連携プレーで国公立大学にコンスタントに合格者を出せるだけでなく、きちんと夢をもって大学にはいったり就職したりするようになりつつあります。高校と連携をするまでのプロセスは長かった、と豊田さんは話しますが、その思いは形になり、多くの高校生の大学合格に一役買っているだけではなく、地域の人々と子どもたちをつなぐ役割も果たしています。

廃校寸前だった高校を、地域が盛り上げ、そしてサポートをしていくことで高校だけではなく、海士町という町そのものの価値もあがる。そんなことが海士町では起きています。生徒数の増えた高校生たちは、地域の産業の手伝いをするなどし、地域の人たちとも自然と交流ができるようになっています。島外からきた高校生も、こうした関わり合いの中で異年齢の知り合いや仲間が増えていくといいます。地域をサポートすることが、結果としてつながりを深め、コミュニティ形成の促進になっているようです。

海士町での「学び」はこれだけではありません。次回は、海士町の産業とそれを支える力について紹介していきます。