みんなの住まい

地元のモノでお金を稼ぐ「海士町(あまちょう)」は町民一体で「地産地“商”」

島根半島沖合約60キロに浮かぶ隠岐諸島のひとつ、中ノ島にある町「海士町」(あまちょう)は、「平成の大合併」を拒み、自立への道を選んだ自治体で、財政難を乗り越えながら様々な試みをしている場所です。前回の記事では、教育で街を変えて人を増やす実践的手法を紹介しました。今回は、島の収益源の要ともいうべきビジネスの数々をご紹介していきましょう。

※TOP画像は島でよく食べるというさざえカレーを商品化した「島じゃ常識さざえカレー」

海士町長の山内道雄さんは、自著『離島発 生き残るための10の戦略』(NHK出版)の中で海士町をひとつの総合デパートにしたいと語っています。その思いにある通り、海士町にはたくさんの商品があります。例えば、この季節だと岩ガキ。海士町の清浄な海水と適当な海水温・海水濃度と隠岐の海域は岩ガキの生育にぴったりの条件を備えていたとか。岩ガキは「春香」と名付けてブランド化をはかりました。

地元のおばちゃんやIターンも。ブランド化を果たした岩ガキ「春香」の生産現場

海士町のフェリー乗り場がある菱浦港から海沿いに走り、山を越えて日本名水百選に選ばれたわき水「天川の水」を越した先に拡がる保々見湾は、清浄な海域と言われています。そこに、岩ガキの「春香(はるか)」を生産する海士いわがき生産株式会社はありました。

3年の歳月をかけて耳吊方式と呼ばれる手法で育てる「春香」は身がぎっしりと詰まって大粒。旬は3月~5月で、味わいは濃厚でミルキー、そして甘みがあります。

浄化前の岩ガキを地元のおばちゃんたちが磨きます。殻の付着物を落とすことで衛生状態を保ちます。

「春香」は生食で安全に食することのできるように紫外線殺菌した海水で48時間浄化。

「春香」は首都圏のオイスターバーや料亭などでは他の岩ガキよりも高値となるほど人気です。実際僕も、帰りに港で20個注文してしまいました。

説明をしてくれた「海士いわがき生産」の代表取締役・大脇安則さん。

この「海士いわがき生産」には、2年前に移住してきたIターンの高野誠也さんがいます。高野さんは千葉県から移住。お子さんを二人持ち、本土で大工をしていましたが、海士町の存在を知り移住を決意。漁師になりました。高野さんには自立するまでの3年間、毎月15万円が海士町から支給されると言います。他の地域と比べて移住者に手厚いサポートがあることも、Iターンを増やしている要因かもしれません。

千葉県から移住した高野さん

高野さんは「千葉県に住んでいるころは、隣の人が誰かもわからなかった。でも海士町に移住してきたら誰もが知り合いだし、助け合いができている。なにより子どもを育てる環境としては最高だと思っています」と話します。とはいえ、漁師の仕事はやさしくはありません。「寒い日の漁はこたえます」とも。ただ島のコミュニティによって妻や子どもも楽しく生活できていることが、高野さんにとっては最大のメリット。「来て良かった」と話します。

海士いわがき生産の「春香」は、海外への輸出も進んでいます。地元の人々と、Iターンという2つの力があわさり、それを町が支援する。3つの力が組み合わさったこうした会社は続々と立ち上がっています。

余談ですが、ここでは塩も生産されていました。清浄な海水であれば、塩もつくってしまおうと「海士之塩」が生まれたとか。伝統的な手仕事で丹念につくられる天然塩は、岩ガキとの相性も抜群。

天日干しで乾燥させ細かくし、異物のチェックなどもしています

実は岩ガキ「春香」の成功の陰には、CASという技術の存在があります。次はそのCASについて紹介します。

離島の「距離」を縮めるCASの存在

海士町は豊富な海産物に恵まれているものの、産業として成功できない理由がありました。それが「距離」です。本土への市場へはフェリーによって運ぶしかなく、どうしても時間がかかります。そこで鮮度が落ちてしまうのです。この問題を解決するために、海士町では冷凍に着目しました。しかし、ただの冷凍では、当たり前のことで付加価値になりません。

そこで海士町が目をつけたのがCASフリージング・チルド・システムです。細胞を活かしたまま凍結するという凍結法で、全国の自治体として初めて導入。設備投資は2004年(平成16年度)に4億円、17年度に1億円の計5億円。町の財政規模からすると大型投資ですが、現在は黒字に転じているとか。岩ガキの「春香」もCASで冷凍され、日本、そして世界へ輸出されています。

CASを管理する株式会社ふるさと海士のCAS事業部の門昌之さんは島で生まれ育ち、現在も島で働く26歳。「高校を出てふるさと海士に勤めることになった時は、他の人が全員Iターンの人で知らない人ばかり。孤独だった」と素直な気持ちを打ち明けます。

CAS事業部の門昌之さんは海士町生まれの海士町育ち

「クラスメイトは卒業後、島を出てしまっていたんです。一度は島から出ろというのが多くの人の意識でしたが、僕はそうではなかった。家族もそれでいいと言ってくれていました」

とはいえ、ふるさと海士で働き始め、最初の3年くらいは辛かったといい「島から脱走しようとした」と笑いながら振り返ります。変わったのは、Iターンの人たちとも仕事や趣味を通じてつながりあってから。「島にはサークルがたくさんあるんです。バレーとかサッカーとか。みんな働いた後、夕食を食べた後とかにサークルで遊びます。僕もいくつか掛け持ちしていますが、そんなことをしているうちに、孤独さがなくなっていった」と門さん。

今、彼が興味を持っているのはCASによる冷凍商品の海外販売強化。そのために、HACCP(ハサップ)の勉強をしたいとか。HACCPとは、食品の製造・加工工程のあらゆる段階で発生するおそれのある微生物汚染等の危害をあらかじめ分析し、これを連続的に監視することにより製品の安全を確保する衛生管理の手法で、国際的に推奨されているものです。

続いて、門さんが仲良くしているIターンの人もいるという株式会社巡の環を見ていきましょう。ここはIターンだけで構成される海士町の会社です。

Iターンの会社「巡の環」が生み出すもの

「巡の環」は、海士町にあるIターン9名で構成される株式会社です。代表の阿部裕志さんと、取締役の信岡良亮さんの2名による著書『僕たちは島で、未来を見ることにした』(木楽舎)でも知られています。同社の目的は「持続可能な未来に向けて行動する人づくり」。事業内容は大きく3つです。1つは地域づくり事業で、海士町が未来のモデルになるための、海士町内のイベントや計画づくりのサポート。続いて教育事業で、島をフィールドに各種企業・自治体研修を行う。最後がメディア事業で、地域を伝えるための海士WebデパートやAMAカフェなどを展開しています。

お伺いした時はちょうどお昼時でご飯を炊いていました。美味しそう!

その中でも注目を集めているのは「海士五感塾」で、これは地域交流と企業研修をかけあわせたもの。人間力の向上を目的とした研修で、イオンやサントリーなど多くの大企業が参加しているとか。

海士五感塾の構図

取材に応じてくれた「巡の環」の岡部有美子さんは、同社の新しい生き方に共感したと言います。「もともとは都内でIT系の仕事をしてきましたが、仕事中心になりすぎた自分に疑問を感じ始めました。そんなとき、都内で代表の阿部の講演を聞いて強く共感しました」。「巡の環」の新しい生き方とは、「くらし」「しごと」「かせぎ」を満たす生き方の大切さです。

「巡の環」の岡部さん。オフィスが古民家を改装しており、その縁側で

3つのバランス

くらし・しごと・かせぎの考え方

「私は埼玉出身でなぜか東京に出なきゃ行けないと思っていました。でも代表の阿部の話を聞いた時に、東京である必要はないのではないか? と思えたんです。実際に移住してみて実感しています。仕事は好きだけど、東京である必要はないということに」と岡部さんは話します。

岡部さんのようにIターン者は今でも増え続けている海士町。その中にあって、新しい課題が出てきました。その課題を解決するために生まれたのが「あまマーレ」です。

交流を生み出す「あまマーレ

島民、Iターン、Uターン、観光客……海士で暮らす楽しみを広めていくためには、観光などの外向きな「場」だけでなく、内向き、つまり町民たちの「場」づくりも必要です。そこで生まれたのが「あまマーレ」です。保育園の建物を活用し、「趣味」をキーワードに「あそぶ、つくる、くつろぐ」場所として生まれました。

人口約2400人の海士町は、住民のほとんどが顔見知り。しかし、UIターンで移住する人が増えたことで顔は知っているけれど話はしたことはないという人も増えてきました。その原因のひとつに、ふらっと立ち寄っておしゃべりする場所やみんなが盛り上がれる場所が少ないことがありました。そこで、2009年(平成21年)に「あまマーレ」が誕生。2014年(平成26年)からは施設にスタッフが常駐するまでになりました。

あまマーレでは島民の不要になった食器類などを1袋300円で詰め込み放題で購入できる「古道具やさん」も

取材に応じてくれたのは海士町教育委員会 地域共育課 集落支援員の藤本かおりさん。「元はグラフィックデザインの仕事をしていたのですが、仕事中心の生活に疑問を感じて、移住を決意」したと話します。「海士町に移住しようとした時に、役場の人が家を探してくれたんですね。海士町に住む前に、実は別の場所に移住したこともあったのですが、そこでは自分たちで探すしかなかった。Iターンが行きやすい環境を、海士町の役場は用意していると思いました」。

あまマーレの庭で、藤本かおりさん

集落支援員とは、集落の維持・活性化を図ることを目的に創設された総務省の制度。海士町では2011年(平成23年)から集落支援員制度を活用し、海士町14集落の自主運営能力を高めることを目標に活動しています。

「あまマーレ」ではイベントも多数。僕が取材に行ったときは、「インド映画を観てカレーを食べる」という興味深げなイベントが行われていました。あいにく他の見学があり、参加できなかったのがとても残念。

インド映画を観てカレーを食べる

「Iターンで来たご夫婦のうち、例えば旦那さんは仕事で出会いがありますが、奥さんは子育てもあり交流の場が限られることも。そんなときにあまマーレに来てもらい、交流を促進できればと考えています」と藤本さん。「実際、お子さんといっしょでいいのでママさんに、2時間ぐらいの少しの時間ですが手伝ってもらってます」と顔をだすことで、交流が生まれるということが実践されているようでした。

UIターンが増えて、交流に課題が起きれば、その解決策を町民みんなで考える。何があっても、他人事ではなく自分事としてとらえ、課題解決に動く。それを古くから海士町にいる町民もサポートする。それは、この島にUIターンの人たちがやってきて、彼らの目で見た島の魅力に、地元の人たちも気づかされることがあるから。よくイノベーションを起こすのは、「若者、よそ者、ばか者」といいますが、海士町でもよそからやってきた若者たちを大切にしています。町全体のコミュニティの形がしっかりとできており、さらにコミュニティの中の人たちに「共創」という意識が根付いていること。それこそが海士町の最大の魅力といえるかもしれません。

帰りは島民に見送られながらフェリーに乗って帰ります

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