みんなの住まい

藤野、「つながりの見える化」がコミュニティ自走のエンジンに

神奈川県北西部で、かつて「藤野町」と呼ばれていた地区。ここには、若い世代の移住者が多く、コミュニティ活動が活発に行われています。前回の記事では、そのきっかけとして約30年前に始まった芸術によるまちおこしと、11年前の私立学校の誘致をご紹介しました。今回は、その私立学校と地域の関わり方について、そして移住者によるユニークなコミュニティ活動とそれを支える仕組みについてご紹介します。

子育て世代の注目を集める、シュタイナー教育の魅力とは

藤野が誘致した、通常とは異なるカリキュラムで独自の教育を行う「学校法人シュタイナー学園」。一体どんな学校なのかを探るべく学校へ向かいます。

まず取材班が驚いたのは、そのカラフルな校舎。建物の外壁はサーモンピンク、教室の中の壁もピンクやブルー……。聞くと教室の色は学年が上がるにつれて、暖色→寒色になっていくのだとか。

「シュタイナー教育では、美しいものに心を動かしながら学んでいくことが、学童期の子どもに大切であると考えています」そう語るのはシュタイナー学園の浦上 裕子先生。特徴的な授業内容について教えてもらいました。

「最も特徴的なのは『エポック授業』という1つの教科を毎朝連続して数週間学ぶブロック授業の形式です。学びながら自分だけの教科書である『エポックノート』を生徒自身が作り上げていきます。文字ばかりでなく、先生の話を聞きながら色鉛筆やクレヨンで絵をたくさん描きます」(浦上先生)。

例えば算数の授業でも、先生が話す物語にでてくるものの中から数の概念を学びます。ハチの巣の6角形、北斗七星の7……といった具合に。漢字も同様に物語の風景から文字が出来上がっていく様子で学びます。「印刷した紙を淡々と読ませるより、先生が真剣に話し、伝えるほうが心の中に染み込みます。言葉の意味をしっかりと伝えながら、その中で驚いたり感動したり悲しかったり、そういう心の動きと共に学ぶことが大切と考えています」(浦上先生)。

「子どもを崇高なものとして、大切に育てる」という理念に感銘を受けたという浦上先生ご自身も、元々はお子さんをシュタイナー学園へ通わせる保護者だったのだとか。
カラーバリエーション豊富なチョーク。黒板にはこのチョークを使って物語の情景が色鮮やかに描かれています。

シュタイナー教育では、子どもの体と心の発達観に基づく12年間の体系的なカリキュラムを持ちます。その中で知性だけではなく、心や体、精神性をも含めた教育をしていくことも「教育芸術」の一環です。学びながら教科書を作っていくエポック授業は、自分で考え、動ける素養を身に付けることができるのです。

地域と一体になって学び、育てる

シュタイナー学園と藤野の関係について、浦上先生は「藤野という地域あっての学園です。ここは豊かな自然があり、子ども達にとって良い環境だと思っています。地域とのつながりを大切にし、住民の方にも講師をお願いしています」と笑顔で話します。「地域に住むアーティストに、鍛金やかご編み、書道なども教えていただいたり、オイリュトミーのピアノ伴奏をお願いしたり。米作りや、自分で切った木で家作りの実習をしたことも。クリスマスにはモミの木、七夕には笹を切らせてもらうなど、季節の祝祭にも力を貸していただいています。地域みんなで子どもを見守ってくださっている感じですね」(浦上先生)。

移住した保護者も自治体活動に積極的に参加して、地元の方とお祭りや運動会を開いたり、一緒になって地域を盛り上げているそう。一方、地元の住民たちからはシュタイナー学園の子どもたちの声がまちを明るくしていると言ってもらうことも。子ども同士がつながることで親同士もつながり、その周辺の人々も笑顔になる。子どもの存在はまちの活性化になくてはならないもののようです。

まちのコミュニティ見える化の火付け役「トランジション藤野」とは

シュタイナー学園の浦上さんも話していましたが、藤野には様々な活動をしている人がいます。この “藤野のコミュニティ活動”について調べていくと「トランジション藤野」というキーワードが出てきます。藤野に移住してきた若い世代が積極的に参加している同活動について、藤野観光協会の小山宮佳江さんに聞きました。

「トランジション藤野は『トランジション・タウン』という運動がベースになっています。大きな気候変動とピークオイル(石油の枯渇)といった問題解決のため、依存しているシステムから自分の暮らしを見直し、地域のコミュニティの力で解決につながる方法を提案、実践する活動です」(小山さん)。

2005年にイギリスの小さな町から始まって、わずか3年ほどで世界中に広がっていったそう。2008年に立ち上がった日本初のトランジション・タウンの一つが藤野でした。

「持続可能な暮らしを作り出すためのデザイン体系であるパーマカルチャーを学んだ榎本 英剛さんがこの活動を知り、市民同士が小さなコミュニティのなかでお互いの能力を引き出し合うことに可能性を感じて始めることになりました」と小山さんは話します。「2008年に榎本さんが仲間と一緒に活動を始め、今年で7年目。もともとユニークな人が多いということ、子育てや暮らしに藤野を選び移住してくる人がどんどんつながって、具体的な活動になっていきました」(小山さん)。

地域の大事なコミュニケーションツールとなった地域通貨「よろづ屋」

トランジション・タウン活動が始まって、藤野には様々な取り組みが生まれていきます。その一つが藤野の地域通貨「よろづ屋」。始まるきっかけをつくった池辺 潤一さんにお会いして話を伺いました。

「最初はおままごとみたいだったんですよ(笑)」と地域通貨を実践し始めた頃を振り返る池辺さん。約10年前に都内から子育てのために移住。娘さんをシュタイナー学園に通わせています。

「トランジション藤野企画のイベントで、脱・依存や地域の底力を高めるテーマで対話の場を持ったんです。その時、小さな子どもをもつ女性が『藤野の豊かな自然環境でのびのび子育てをしたいけれど、シングルマザーで生活するためにはどうしても外に出るしかなく、子どもを預ける時間がどんどん増えてしまう。これでは本末転倒』と悩んでいました。そこで、地域の中で自立するにはどうしたらいいか話し合い、地域通貨というキーワードが生まれました」と、池辺さんは話します。

地域の中でお互い様の小さな経済を作れないだろうか——そう考え、準備をすすめました。最初は15人程度から始め、気がつけば半年くらいで60人ほどになったそう。そして2010年の春、通帳方式の「藤野地域通貨よろづ屋」が本格的に始動しました。

「よろづ屋」に参加するにはまず利用者のメーリングリストへ登録をします。そして例えば「旅行の間に庭の植え木の水やりを誰か“1000よろづ”でお願いできませんか」とそのメーリングリストに投稿をする。そうするとそれをみた誰かが「いいですよ」と返信をして出会いが生まれます。そして頼み事が終わったら、水やりをお願いした人のよろづ通帳には「植え木の水やり、+1000よろづ」、やってもらった人の通帳には「-1000よろづ」が書き込まれ、それぞれ互いの通帳を交換してサインをしたら取引が完了、という流れです。

池辺さんのご自宅では奥様がパン屋さんを開いており、その支払いを一部「よろづ」で行える。

使い方が分かったところで、普段から頻繁に「よろづ屋」を利用しているという小山さんの通帳を見せてもらいました。すると残高の欄には「-(マイナス)」が続いています。「-5万よろづくらいですかね、今」と小山さん。……ということは、5万くらいの“借り”があるってことですか? と尋ねると池辺さんがすかさず「そう思うでしょ? ところがそれが違うんです」と、とってもうれしそう。

「結論から言うと、このマイナスは素晴らしいんです。損得の話ではなく、どちらかというと取引が行われたこの行数が重要。これだけの人数と関わり、その人達の持っているスキルや知識を引き出している。行数が多いほど地域の資源を発掘した、ということになるんです」(池辺さん)。

さらに池辺さんは続けます。「眠っているエネルギー(資源)を地域の人達同士で活かしあう事がこの地域通貨制度の目的であり、よろづ通帳はそのための単なる道具。利用者は“お互い様”といってそれぞれが持つ資源を活かし合います。だから小山さんのように、残高がマイナスでも『あなたのそのスキルいいね、お願い』と言える人が多いほうが、当初の目的が果たせるんです」。

地域通貨というと、独自の紙幣を採用することもあるけれど、この通帳型というのも藤野にとってはちょうど良いのだそう。それは誰かの通帳にサインをする時、これまでの取引の様子が見えて「あ、この人ってこんなことできるんだ、今度私も頼もう」というふうに、また新たな出会いが生まれたりするから。「藤野は商売ではなく暮らしがメインの地域なので、“つながりの見える化”が大事なんですよね」(池辺さん)。

通帳は1冊200円。会員になった人のみが購入できます。「よろづ」の由来は「みんなのできることを集めるから、なんでも揃う“萬屋(よろずや)”みたいだね」というメンバーの一声から。

現在メーリングリストの会員は380人ほど。取引の完了後にもメーリングリストに御礼報告をすることになっています。「日常生活の中で、誰かが誰かの手助けをしたり、感謝する。そのやりとりがあちこちで起こっているのが見えることで地域力の高さを実感しています」(池辺さん)。

「地域通貨」を生活や経済の為ではなく、主にコミュニケーションの道具として活用し、楽しみながらつながりを広げてコミュニティを醸成するという方法は、他の地域などでも活用できそうです。

「つながりの見える化」から電気をつくる活動へ

「よろづ屋」によって“つながりの見える化”が起きた藤野では、多くの活動が始まります。その1つが「藤野電力」。今回お話をうかがった小田嶋 電哲さんは、現在は廃校となった小学校をアトリエやオフィスとして活用している「牧郷ラボ」を拠点として活動中です。

8年前に都内から移住した小田嶋さん。田舎暮らしに憧れていたこと、さらに奥様と共にシュタイナー教育に興味を持ったことがきっかけで藤野への移住を決めたそう。「藤野は親切で面倒見の良い人も多くて、そういう人の雰囲気にも惹かれました」(小田嶋さん)

藤野電力が始まる大きなきっかけは2011年の東日本大震災でした。

「震災後エネルギー問題を考えよう、と『よろづ屋』のメーリングリストで呼びかけがあり、50人くらいが集まって議論したんです。その時、中の一人がソーラーパネルを使って自家発電していることが分かって。そこで、彼にソーラーパネルの組み立て方などを教わり、みんなでワークショップを開いて自分たちで電気を作ることを始めました」(小田嶋さん)。

当初は、苦労の連続だったそうですが、今では全国180カ所で出張ワークショップを行うまでになりました。具体的にはソーラーパネルで集めたエネルギーをバッテリーに蓄積していく、というのが藤野電力の仕組みで、小田嶋さんのオフィスのパソコンなどもこの藤野電力式で集めたエネルギーを使って稼働しています。藤野では、この藤野電力による自家発電を行っている家も多く、「自分の使うエネルギーを誰かに頼らず自分で集める」(小田嶋さん)という考え方を実践しているようです。

“ゆるいクラブ活動”的感覚が、コミュニティを活性化する

「つながりの見える化」によって、“よろづ屋”や“藤野電力”の他にも森の水脈整備や間伐などを行う「森部」、持続可能な食と農を考える「お百姓クラブ」、地域の高齢者をどう支えていくか、本当の健康とは何かを考える「健康と医療」というグループなどが活動を行っている藤野のトランジション・タウン活動。このように多岐にわたるユニークな活動が、次から次に発案され、実現されていく秘訣を小山さんは、「“ゆるいクラブ活動”的感覚だから」と言います。

トランジション藤野の活動に参加している人達は口々に「豊かな自然ももちろん魅力だけれど、何よりもこのまちの魅力は“人のつながり”だと思う」と話します。

「活動自体はゆるい繋がりで、“やりたい人が、やりたいことを、やりたいときに、やりたいだけやる”というのを心がけています。事情により活動できない時や、熱が冷めてしまったら辞めても全然構いません。普段仕事をしているので、それ以外の少ない時間で何かやるために、楽しいとかやりたいという気持ちが大事」(小山さん)。

トランジション活動への参加者は、地域通貨に参加している人を含めると300人以上ともいえますが、定期的に行われるミーティングに集まるメンバーは毎回15〜16人程度。無理のないつながりこそが、持続的な活動を支えています。さらに最近はその定期的なミーティングも一時取りやめようという動きがあるのだとか。4年前に藤野に移住し、トランジション藤野の活動で、各グループ・地域団体との連携や広報などを担当する高橋靖典さんにお話を伺いました。

完成されたコミュニティ活動は“醸成”から“解放”へ

シュタイナー学園へお子さんを入学させるために移住してきた高橋さん。「森部」の活動に参加したことがきっかけでトランジション藤野の活動に参加

「それぞれの活動が活性化して、人のつながりが強くなったのは良い事だけれど、メンバーが密になると新しい人が入りにくい雰囲気になると皆が感じ始めたんです。かなり意識的にゆるいつながりにして、新しい人が参加しやすいようにしないと、小さな趣味の活動で終わってしまうかもしれない。また全体のミーティングも回数が増えてくると各々の興味のある活動へ掛けられる時間が減ってしまう。本当の意味で持続可能性のあるまちになるために、組織化で発生してしまう線引きを薄くし、個人のアイディアや、皆が思いつく企画がすぐに実現できるような、つながりのある環境をさらに深めていきたいと考えています」(高橋さん)。

例えば地域やマンションなどでも最初のころからつながりのあるコミュニティに、後から入りづらいと思う人は多いのではないでしょうか。トランジション藤野は、後から来る人の気持ちを考え、あえてつながりをゆるくさせようとしているのです。

前回の記事でもご紹介したように、藤野には古くからの住民に加え、異なるレイヤーの住民たちが移住してきています。アーティスト、教育……異なる人たちの受け皿となったのが、行政にいた中村 賢一さん(前回記事参照)たちであり、そのなかで「よろづ屋」のような「つながりの見える化」によって住民同士もつながっていくことで、難しいと思われた地域住民と異なる年代・嗜好の移住者たちとのコミュニティが形成されていきました。

当初は、自然以外は「何もない」と思われていた藤野は、いま、多様な人のつながりによって世界にも注目され、シュタイナー教育の関係者や各国の文化担当者が視察にきています。それがそのまま、まちの魅力にもつながり、また新たな人を呼ぶきっかけになる——藤野の持続可能な「暮らし方」は、これからも進化をしながら発展していきそうです。

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